8月9日は登校日!! [misc.]
今日は長崎原爆の日です。なので、長崎県内は基本小・中・高生は登校日です。
この登校日には必ず平和学習映画が上映されたものでした。
昔は、『はだしのゲン』や『ひめゆりの塔』などでしたが、今はどんな映画を上映
するのでしょう。
戦争を知るのは自分の親世代までですね。
水や食料が不足していた時代は知らない。物質的に豊かではなかったという
記憶はあるけれど・・・。
僕らの世代(S40年代生まれ)は、高度経済成長と呼ばれる時代が少年時代。
社会も家族も友人も、手本や憧れはアメリカだった。
基地の町だからなおさらだ。
同じ夏休みの8月初旬、佐世保市内のニミッツパークはアメリカンフェスティバルという
名のイベントが開かれる。(今はない)
第一回目開催の時に僕は17歳。当然行きます。しかも、ゲストが杏里と河合奈保子。
友達に『杏里のくるとってばい!いこーで、いこーで』
そこは、映画で見るよーな世界だった。
ポップコーン、フライドチキン、でぶ缶のコーラ(当時は米軍コーラと呼んでいた。
なぜなら、まだ日本にはでぶ缶(354ml)がなく、米軍が売っていたコーラなどが唯一
大きな缶だった。)
かなりハイテンションだったのでそれらはただで配っていた気がする。
これが基地の町の昭和50年代後半から60年代初頭の現実。
村上龍の「限りなく透明に近いブルー」の時代とは1時代違うのだ。
今思うと完全なノンポリ時代だったのかも知れない。
同じ長崎県で同じ8月に、フェスタで盛り上がり、何日後かには学校で黙祷している。
どちらも否定できない複雑な時代。複雑な世界。
そんな中で生きていたのだ。
だれが云々という時代は過ぎ、何がいけないかを考える時代。
核の所持はいけない。戦争はいけない。
こうやって、のんびり澄んだ空気を吸えるのも平和の証しか・・・。
そんな事をこの針尾一帯の景色を見ながら考えていた。
大村湾
針尾無線鉄塔
この針尾の無線鉄塔(送信所)ですが、旧日本海軍が建てたらしく、太平洋戦争開戦の日を指示する
暗号電文『ニイタカヤマノボレ一二○八』が送信されたという逸話が残っています。
実際はどうだったのでしょうね。
旅行や出張で訪れる国や地域の中には、反日的、親日的感情が含まれていますよね。
とある国への出張は、わざとみすぼらしい格好をして日本人と気が付かれないように
したり。
そういうのを目の当たりのすると戦争の爪痕の大きさを感じる。真実がわからないまま
ある程度の緊張状態を保ちながら平和を唱えていく・・・?。
考えれば考えるほど答えは見えなくなります・・・。
この登校日には必ず平和学習映画が上映されたものでした。
昔は、『はだしのゲン』や『ひめゆりの塔』などでしたが、今はどんな映画を上映
するのでしょう。
戦争を知るのは自分の親世代までですね。
水や食料が不足していた時代は知らない。物質的に豊かではなかったという
記憶はあるけれど・・・。
僕らの世代(S40年代生まれ)は、高度経済成長と呼ばれる時代が少年時代。
社会も家族も友人も、手本や憧れはアメリカだった。
基地の町だからなおさらだ。
同じ夏休みの8月初旬、佐世保市内のニミッツパークはアメリカンフェスティバルという
名のイベントが開かれる。(今はない)
第一回目開催の時に僕は17歳。当然行きます。しかも、ゲストが杏里と河合奈保子。
友達に『杏里のくるとってばい!いこーで、いこーで』
そこは、映画で見るよーな世界だった。
ポップコーン、フライドチキン、でぶ缶のコーラ(当時は米軍コーラと呼んでいた。
なぜなら、まだ日本にはでぶ缶(354ml)がなく、米軍が売っていたコーラなどが唯一
大きな缶だった。)
かなりハイテンションだったのでそれらはただで配っていた気がする。
これが基地の町の昭和50年代後半から60年代初頭の現実。
村上龍の「限りなく透明に近いブルー」の時代とは1時代違うのだ。
今思うと完全なノンポリ時代だったのかも知れない。
同じ長崎県で同じ8月に、フェスタで盛り上がり、何日後かには学校で黙祷している。
どちらも否定できない複雑な時代。複雑な世界。
そんな中で生きていたのだ。
だれが云々という時代は過ぎ、何がいけないかを考える時代。
核の所持はいけない。戦争はいけない。
こうやって、のんびり澄んだ空気を吸えるのも平和の証しか・・・。
そんな事をこの針尾一帯の景色を見ながら考えていた。
大村湾
針尾無線鉄塔
この針尾の無線鉄塔(送信所)ですが、旧日本海軍が建てたらしく、太平洋戦争開戦の日を指示する
暗号電文『ニイタカヤマノボレ一二○八』が送信されたという逸話が残っています。
実際はどうだったのでしょうね。
旅行や出張で訪れる国や地域の中には、反日的、親日的感情が含まれていますよね。
とある国への出張は、わざとみすぼらしい格好をして日本人と気が付かれないように
したり。
そういうのを目の当たりのすると戦争の爪痕の大きさを感じる。真実がわからないまま
ある程度の緊張状態を保ちながら平和を唱えていく・・・?。
考えれば考えるほど答えは見えなくなります・・・。
タグ:長崎
8月9日、登校日でしたね~!懐かしいです
夏休みに入る前から、国語や道徳の時間に
原爆の本の朗読を聞き、音楽の時間は「あの子」などの歌を練習していました。
アメフェスって、今はもうないのですか~~!!
佐世保には、しょっちゅう帰っているのに知りませんでした^^;
記憶にあるゲストは、J-WALKです^^
by ぴのこ (2009-08-10 10:55)
今も世界のどこかでは、争いが続いてて
核開発を進めてる国もあって・・・
世界が全部平和になるってことは難しいんでしょうね。
平和だと、安心していたら
争いに巻き込まれてしまう。そんな日本の緊張感。
by mei (2009-08-10 16:39)
> ぴのこ san
そーなんですか。僕らの時代よりさらに平和教育に力が入っている気が
します・・・。
アメフェスがなくなったのは後輩から聞きました。
何年か前になくなったらしいです。
変わりになにかイベントはやっているようですけど・・・。
by White-Breath (2009-08-10 21:28)
> mei san
ほんとですよね。
まだまだ紛争が絶えない地域もありますしね・・・。
我々の幸せが脅かされないようにとただただ祈るばかりですね。
by White-Breath (2009-08-10 21:44)
唯一、核を体験した国・日本。その傷は癒えても無くなる事はありませんね。
また、戦争の相手にも同じように傷を与えたのも事実ですね。
今、これだけ豊かで、世界の先進国の一員として国際的になった日本であっても、戦争は忘れてはいけませんね。
そして、過去の行いだけを見て、特定の民族を嫌悪するのではなく、言葉で人とコミュニケーションを図っていける人でありたいですね。
by sakubiwa (2009-08-11 23:56)
>sakubiwa san
そうですね。すでに次の世代、次の世代へと時代は
移り変わっていますから、どの世代であっても人と人とのつながりを
大事にしてもらいたいし、また自分も大事にしていきたいです。
by White-Breath (2009-08-12 21:46)